クローゼット大掃除

今日はお休みだったので、おしゃれ修行その①「クローゼットの大掃除」をしました。

 

服に限ったことじゃなく、私は「物を捨てる」という行為がものすごく苦手です。

しかもやっかいなことに、汚部屋耐性があるために、ギリギリまで部屋が汚いままで過ごせてしまうんですよね。キレイ好きでまめな人になりたかった…。

しかしどこまでも汚くなっても平気、というわけでもなく、ある一定の汚さを超えると猛烈に掃除がしたくなり、一度にゴミ袋3枚分のモノを捨てるという行動に走ってしまうのです。

母に「何で毎年毎年、こんな量のゴミが出るの! いるもんも捨ててるんちゃうの?!!」と怒られ、「いらんもんばっかりだった…」と返し脱力させたこともあります(笑)

 

さて今回のゴミの量。

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袋1枚半くらいですかね。服だけの割には結構な量ですね…。

 

もうね、いるものといらないものを分けてる時、めちゃくちゃ虚しくなってきましたよ。ゴミ服が多すぎて。

毛玉だらけのセーターやら、色褪せてる上に穴が空いてるズボンやら、とっくに通り過ぎた流行のアイテム(別に似合ってない)やら。何でこんなものを取っておいたのか、過去の自分が分からない…。

 

ですが、容赦なくバシバシと捨てたおかげで、クローゼットはかなりスッキリしました。見て見て!

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それに、私の持ってる服の問題点もハッキリ分かりました。

夏服のカットソーがなさすぎる。

スカートやズボン、カーディガンなんかはかなり持ってるんですよ。カジュアルなTシャツもそこそこある。タンクトップに合わせられそうな、ざっくりしたサマーニットまである。だけど、なぜか夏物のカットソーは一着しかないんですw 買い足さなきゃ。

 

一体どうして、こんな不思議なワードローブになっていたんだろう…自分の服なのに謎がいっぱいです。

 

というわけで、私のおしゃれ修行はまだまだ続く!(といいなぁ…)

おしゃれがしたい

こんにちは。

日に日に暑くなってくる昨今、如何お過ごしでしょうか。この間、職場で頭痛とめまいと吐き気に襲われ、強制送還させられそうになりました。脱水は辛いですね。気をつけよう。

 

さて、私は自他ともに認める喪女喪女の喪女なのですが、実はおしゃれがしたいと思っています。 

昔っからサイズに難アリで、似合う服とか可愛い服以前に「着れる服」があまりなく、高校生くらいまで「入ればいいや」と思っていました。

 

しかし、女子大に入ったこと、ぽっちゃりさん向けの服が供給されるようになったこと、何よりおしゃれな恩師(『プラダを着た悪魔』のミランダ編集長に似てる)との出会いで、私のファッション観が変化してきました。

まず、女子大っておしゃれな子が多いのですよね。特に入りたての子ほど服装に気合い入ってるので、自分の素の格好で大学に行くとダサくて浮くのです。これは恐怖でした。

そして、ぽっちゃりさん向けの服が出てきたこと。これはすごく大きい。可愛い服も入るやん、おしゃれするのって楽しいやん、と気づかせてくれました。

最後に、長いことおしゃれができなかったコンプレックスから「おしゃれ=見た目にこだわるなんて薄っぺらい」というイメージを持っていた私を変えてくれた、恩師のファッション。

 

恩師は本当におしゃれな人で、グレーのパンツスーツに赤いシャツにサングラス、みたいな格好をしてたこともあります。自分に何が似合うのか、本当に分かっているという感じの方でした。かっこよくて、憧れた。

恩師の姿を見て、「見た目にこだわらないことって、なりたい自分とか見せたい自分とか、そういう軸がないってことなんじゃないか。それって、かっこ悪くないか?」と思うようになりました。

 

それで、大学時代におしゃれをしてみようと思い、好きな格好を探してきましたが、最近またファッション迷子になってきたんですよね。

仕事は制服だし、休日は疲れて家で寝てるしで、自分の服を「考えなくてもいい」生活を3ヶ月以上してしまった結果、私には何が似合っているのか、どんな自分になりたいのか、分からなくなってきてしまったんです。

 

これじゃいかん!!

ということで、今日は久しぶりに服を買いに行ってきました。でも、やっぱり自分が何を欲しいのか、どんな服が着たいのか分からなくて、戸惑いました。

しかし、「一回家に帰って、服を整理してからまた来よう…。でも、この帽子だけ被ってみよう」と思って被った帽子が、ビビビッときたんです。

あ、これ着たい、と。

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リゾートっぽい格好にも、きちんとした格好にも、カジュアルな格好にも似合いそうな、夏仕様の女優帽。今夏のファッションの軸が一瞬で決まりました。

 

今日は、この帽子とスカートを買いました。どっちもお気に入りです。

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ファッションを勉強しようと、本も買いました。

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おしゃれをするって、自分を大切にするってことでもあるんだなと思いました。着たい服を着ずに過ごすと、何か自分が腐っていく感じがする。

というわけで、おしゃれ修行、再開します。

願いを込めて

よく考えたら今日は七夕じゃないか。

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いやあ、土日祝日関係なく不定休で働く職に就いたので、年間行事を忘れがちになってしまった。行事どころか曜日すらあやふやになっている。……あまりよろしくないな。年間行事を楽しめる大人になりたいものである。

 

みなさんは何か願い事ってありますか?

 

正直に言うと、私はあんまり願い事がない。

驚愕の安月給だけど実家暮らしだから生活には困ってないし、仕事にもだいぶ慣れてきて楽しくなってきたし。たった1ヶ月半ほど前には、休日の夕方から夜にかけてひどい鬱状態に陥っていたのが信じられないくらいだ。

 

強いていうならば、夏休みがほしい。

でもこれは、今年は叶わない願い事だと分かっている。弊社では入社して半年経たないと有休が取れないのである。

新人のくせに体調不良で3日くらい休み、ちっとも怒られないところからして、本当は取れるのに取らせてもらえない、って事態はありえないと思う。来年から夏休みを取りたい。うちホワイトでしょ。

 

夏休みには、そうだなぁ、デンマークに行きたい。映画「リリーのすべて」を観てから、デンマークに興味津々なのだ。でもムーミンが好きだからフィンランドにも行きたいなぁ。夢は広がるばかりだ。

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(切実な願いは「問題利用者に死ねとは言わないが二度来ないでほしい」なのだが、それについて書くとせっかくの七夕なのに殺伐としたエントリーになってしまうので、やめておく。)

満月心中【下】(創作小説)

 

 ―――小枝子のすすり泣きが聞こえた。死後の世界に、一緒に来れたのだろうか。


 私は目を開け、身体を起こした。そこは、駅のホームのベンチだった。駅員さんがおろおろしながら小枝子を慰めている。


「お嬢さんたち、何があったんだかあたしにはさっぱり分からないけどね、あんなとこで跳ねちゃあだめだよ、一歩間違えば死んじまうよ。死んだらみんな終わりだよ、寿命が来るまで死んじゃあいけねえよ」


 どうやら私たちは、心中に失敗したらしい。


 駅員のおじさんが「家には連絡しないでおくけどねえ、さっさと帰りなさいよ」と去った後、小枝子は泣きながら言った。


「ごめんね、あたし、やっぱり死ぬの嫌んなって、飛び込もうとした君恵を引っ張ったんだ。そしたら、君恵、床に頭ぶつけちゃって、気絶しちゃって……あたし、君恵のこと殺しちゃったかと思って泣いてたら、駅員さんが来て……。


 ごめん、言いだしっぺはあたしなのに、生まれ変わるまで待てないよ。あたし、今君恵を一緒にいたいんだって分かったの、本当にごめんね」


 私は、小枝子の涙をぬぐった。
「謝らないで、正直に言うと、私も、生まれ変ったって、今の小枝子と出会えないんなら死んだ意味ないんじゃないかしら、なんて考えてたとこだったの」

 

******

 来世を信じて死を選ぶ少女たちは美しいかもしれないけれど、「生きててナンボ」という私の価値観が勝りました。人は、色々な偶然が重なってできあがっていくのだと思います。だから、生まれ変わっても、今、好きになった人とは、お互いに全く違う人になるのではないでしょうか。

 相手の性別、人種、宗教、その他諸々、世間からの圧力によって想いを諦める人が居なくなるよう、願いつつ。

 

満月心中【上】(創作小説)

仄暗い百合。大正時代の女学生さんをイメージして書きました。ついさっき書き上げた、できたてほやほやの作品なので、もちろん時代考証は一切しておりません。それでもよければどうぞ。

 

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 やたらと明るい夜だ。ガス灯などないこの田舎の道でも、歩くのはそんなに怖くない。
 前を行く小枝子は、どんな思いでいるのか。透視でもするように彼女の背中を見つめたが、何も分かりはしない。
 もうそこに駅が見えている。これから三十分もすれば夜行列車がやってくる。その列車に轢かれて、私たちは死ぬのだ。そして生まれ変り、男と女になって、また恋をするのだ。

 

 独逸かどこかの先生が書いた、心理学の本を読んだことがある。もちろん、我が神聖な学び舎には、そんな本は置いていない。帝都にて大学に通う兄の部屋で見つけて、読んでみたのだ。内容はほとんど分からなかったけれど、どうやら、小枝子と私の間にあるものを、学術の世界では「変態性欲」というらしい。

 変態……。
 変態というと、何だか気持ち悪くて、得体が知れない異形のように思える。私たちの関係は、異形なのだろうか。小枝子と話すことや、放課後にカッフェに入ってお茶を飲むこと、手をつなぐ帰り道は、変態をみなされる行為のうちに入るのだろうか。そう思って、怒りなのか哀しみなのか何なのか、分からないけれど、あまりに一度に色々な感情が腹の中で渦巻いて、私は力が抜けたようになってしまった。
 私たちはきっと、この学校を卒業すれば、すぐに結婚させられるのだろう。親が決めた、それなりに釣り合いそうな相手と。良人となったよく知らぬ男の子を生み、母として、妻として、家を支えて生きて行くのだろう。私たちの母のように。
 けれど私は、小枝子と過ごすのが、学び舎での三年間だけでなんて嫌だった。卒業しても、大人になっても、おばあちゃんになっても、小枝子と一緒にいたかった。
 

 そんなある日、小枝子は私に言った。

 「君恵、生まれ変わりを信じてる?」

 その瞳は、メランコリックに輝いていた。

 

 私たちが一緒に居られないのは、私たちが男と女じゃないからだ。女と女は、学校の中で仲良くするのはいいけれど、恋をしてはいけないのだ。誰も言わないけれど、学校の教育や雑誌や、私たちを取り巻くすべてのモノが、そう語りかけてくるような感覚がする。


 どうしていけないのだろう。私は、こんなに自然に小枝子が好きなのに。


 小枝子は、「ふたりで線路に飛び込んで、生まれ変わろう」と言った。決行は一週間後の夜。もしもこの誘いに乗ってくれるなら、その印として、私にコスモスの花束を頂戴。一番好きな花なの。
 私は次の日の夕方、小枝子にコスモスの花束をあげた。

 

 その日は満月の夜で、夜なのにやたらと明るかった。

 放課後、いつものカッフェでお気に入りのお茶を飲みながら、『カラマゾフの兄弟』の話をした。私たちがこういう関係になったきっかけの本だ。私は兄に借りて読んだのだが、小枝子はお父さまの書棚から失敬したのだという。私たちが好きな登場人物は、もちろんアリョーシャだ。
「それじゃあ、そろそろ行こっか」
 まるでこれから家に帰るみたいに何気ない口調で、小枝子は言った。

 

 駅のホームに入り、私たちは手をつないだ。遠くからカンカンカンカンと響いてくる。あと、三十、二十、十、九、八、七、六、五……(今だ)。私たちは、線路に向かって飛び込んだ。