週末日記2 シリアルキラー展

2018.8.5(日)

 

中学校からの友人と、大阪のシリアルキラー展へ。

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欧米のシリアルキラーたちが遺した絵や音楽、手紙。

別に人を殺したいわけじゃないし、

シリアルキラーに憧れてるわけでもない。

なのに、シリアルキラーが遺したアートに、どうしてこんなに目を奪われるのだろう。

 

彼らは画家ではないから(中には依頼されて牢獄で絵を描いていたキラーもいるようだ)、一般的に綺麗なもの、上手なもの、というわけではない。ただ、70年代〜90年代にかけて連続殺人を行なった人物が多いからか、ヒッピー的な、妙に明るい色彩は印象的だった。

 

短くまとめられた彼らの生涯において、共通していたのは「生育環境があまりにも悪い」である。実母が家出してきたホームレス(16歳)、両親または父親が厳格で虐待を受けていた、アル中の父にうつ病の母の間に生まれ貧乏だったし愛されなかった、など……。中には性的虐待を受けていた者もいた。

 

環境がよければ、彼らは罪を犯さずに済んだのかな。

でも、ひどい環境で育った人がすべて悪人になるわけではないし。

 

シリアルキラーはどうやってシリアルキラーになったのか。

とても考えさせられた。

 

週末日記1 花火大会

2018.8.4(土)

 

みなとこうべ花火大会に行ってきました。

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元々人混みは得意でないのだが、

友人が企画していた交流会で花火を最前列で見られるということ、

職業訓練に通い始めて、一応、平日はそこそこ長い時間外に出て、他人とコミュニケーションを取ったり勉強したりすることによって、メンタルの調子がかなりよくなったこともあり、

思い切って参加することにした。

もちろん、自己紹介代わりのタロットカードも持参した。

 

昼からスタンバイしていたのでとても暑かった。ペットボトル2本タブレット一袋を持ってきていたが、足りなくなり途中で飲み物をもう一本買った。

それでも日が暮れてくると、海からの風が涼しく感じられるようになった。最前列に座り風に吹かれていると、同じイベントの参加者が話しかけてくれた。近くではボードゲームが行われており、その場の勢いで参戦した。

 

花火大会が始まってからは、ひたすら花火を愛でていた。最初は綺麗な花火を撮りたくて、ひたすら連写をしていた。が、ふとスマホの画面から目を離すと、夜空で爆発する大輪の花がーーーそのとき脳内に稲妻が走った。「私、今、推しと花火デートしている!!!!!」

写真なぞ撮っている場合ではない。

その瞬間から、私は花火を撮るのをやめ、ひたすら夢妄想に勤しむことにした。あの日、確かに私は推しと海辺で花火を見ていた。色白の肌は昼間の太陽に焼かれ赤くなって、色素の薄い彼の美しい瞳に花火が映り込むのを確かに見た。

 

引きこもりが過ぎて、私はさらに現実と妄想の区別が付かなくなったらしい。しかし、前の私より確実に美しいものを美しいと思えるようになり、それに伴うしんどいものをスルーできる力が付いたので、これでよしとする。

コミュ障タロット革命

 三か月ほど前からタロット占いを始めた。理由は「家族からも友人からも同僚からも『占いが向いてそう』とやたら言われるから」である。タロット占いにしたのも、単にカードの絵柄が綺麗だからだった。

 自分ではまだまだ初心者だと思っているし、特に恋愛相談は私自身に恋愛経験がないので本気でどうアドバイスしたらいいのか分からないし、相談する時点で大抵は私より恋愛経験があるはずなので自分の判断を信じてほしいのだが、なぜか、私のタロット占い、自分で言うがかなり人気なのである。

 

 SNSで「占い向いてそうって言われるのでタロット占い始めました」と呟くと、(私の割には)結構な数のいいねと「近所なのでよかったら占ってほしいです」というメッセージがいくつか届いた。リア友にも遊ぶたびに「今日タロット持ってないの?」と聞かれるようになった。最近、人と会うときは初対面であっても常にタロットカードを持っていく。

 みんな占いに意外と興味があるんだなあ、と素直に驚いた。頼まれるままにカードを繰りタロットリーディングをしているうち、初めはただカードの意味を解説するだけだったのが、最近では占っている人の現状、悩みを聞き出しながら、カードが持つ本来的な意味をそれに沿わせることができるようになってきた(気がする)。しゃべるのが苦手だからひたすら聞き役に徹し、だがオタクなので好きなこと(タロット)に関しては語り倒すという厄介だった典型的オタク型コミュ障の気質が生かされているのかもしれない。

 

 結構大規模なイベント(飲み会でもなんでもいい)に参加するとき、以前の私は参加者をリラックスさせるため、または場を温めるためのリクリエーションがとても苦手だった。そこで自己開示できたことは一度もない。せいぜい聞き役に回り「あっそうなんですね~」とうまくもない愛想笑いを浮かべるのが精一杯であった。

 けれど今は違う。リクリエーションをするくらいなのだから、名前と趣味くらいは話すだろう。その時に

「おのまちです。趣味はタロット占いです」

と言うと、ワッと笑いが起きたり「えーすごい! 今日持ってきてるんですか?」と聞かれたりする。鞄からタロットカードセットを出すと、さらに場が盛り上がり「じゃあ占ってくださいよ!」と事前に準備されていたリクリエーションもそっちのけでおのまち占いコーナーが始める。もはや私自身がリクリエーションである。

 場の空気を変えられたことなんて、タロット占いを始めるまで一度もなかった。むしろ、その場を汚してしまわないように、粗相をしないように必死に息をひそめていた。

 

 占いってすごいな……と思うと同時に、前は「リア充め」と思っていたけれど、今までコミュ力だけで場の空気を温めていた人たちって本当に本当にすごいんだな、と尊敬する今日この頃である。

うつになると本が読めない

 非定型うつになって一番ショックだったことは、本が読めなくなったことでした。

 

うつ病」自体には大学時代も一度発症したことがあったので、不安感や理由のない焦燥感、過呼吸、といった症状には耐える……というか「ああ、これはうつのせいだな」とやり過ごすことができました。

 けれど、「ストレス発散に本でも読もう」と思って本を開いたとき、なんだか、書いていることの意味が分からない、というか、文字が認識される前に滑っていってしまって、私が今読もうとしていたものは何だったのか、そして今から読もうとする文章は一体何を伝えようとしているのか、分からなくなってしまいました。

 私はあまり趣味が多くない人間です。強いて言うなら、読書と文芸創作、そしてギターの演奏でしょうか。けれど、うつの状態で新しく何か物事を始めるのはとても難しいのです。「文芸創作は設定を考えるのが億劫」「ギターはチューニングが面倒」と思ってしまい、残された唯一の趣味が「読書」でした。

 

 一日30分程度の読書(できれば紙が望ましい)は、ストレス軽減につながるという研究結果があるそうです。いくつかの自己啓発書やストレスに関する本で見かけたので、おそらく有効な研究結果なのでしょう(ソースはよく知らないけど)。

 でもきっと、心身ともに「まだ健康」な人に対して有効なのだと思います。うつが酷い状態(=ストレスに押しつぶされそうになっている状態)になっているのに、ストレス発散を求めているのに、そのストレスに押しつぶされそうなほど追い詰められているせいで本が読めない(ストレス発散ができない)なんて、何という皮肉。「本が読める」状態の方は今のうちにストレス発散しておいてくださいね!

 

 私のストレス源は明らかに前職(図書館司書)だったので、退職し一週間ほど寝たり散歩したりしていると、かなりよくなってきました(まだ判断能力がない状態で転職をしてしまい2週間で辞めてしまいましたが……)。ストレスの渦中→名言集・絵本が限界、お休みの日→かなり文字数の少ない自己啓発書、転職活動中→新書や自己啓発書、今(無職、職業訓練検討中)→それに加えて小説も読める、という段階を踏み、楽しい読書ライフが戻ってきました。やったね!!

 新書や自己啓発書より、小説の方が読むのが大変なんですよね。うつが酷い時って、想像力を働かせるのがかなり苦痛になるのか、登場人物たちについていけなくなってしまう。うーーーん、なぜなんだろう。

湿気も暑さも吹き飛ばすヲタク文学『りさ子のガチ恋♥俳優沼』【感想】

 久しぶりに読んだ本の紹介を。

 

 本屋でこの表紙を見かけた時、稲妻のごとき衝撃を受けた。

 「踏み絵かよ」

【ガチ恋】【俳優沼】この語の意味が分かる者と分からない者で、属性がハッキリさせられてしまう。前者は何らかのヲタク、後者はそうでない人である。相手が腐女子かどうか見分けるための質問「攻めの反対語は?」並みのワードである。

 ガチ恋とはガチの恋、つまり叶うわけのない次元が一個下の人とか、辛うじて次元は同じだがどう考えても彼女/彼氏になれるはずがなかろう存在に、マジモンの、あの、いわゆる不純異性(同性の場合もある)交遊をしたいと思ってしまうことである。

 俳優沼とは、特定の俳優さんにどっぷり夢中になっている状態を指す。「沼」の前にハマっているジャンルをつけるだけの極めて単純な語だが、何かにハマっている状態を的確に表した言葉だと思う。手足が絡めとられて身動きができず、それでもそのジャンルに大金や膨大な時間を費やしてしまう。ほとんど麻薬である。

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『りさ子のガチ恋♥俳優沼』は、2.5次元舞台(アニメ漫画ゲームを舞台化したもの)の俳優に「ガチ恋」をしてしまい、恋に狂っていく平凡(だったはずの)OLりさ子と、彼女に翻弄されていく俳優たちを描いたものだ。

 物語は、りさ子を語り手とした「ファン目線」でのストーリーと、俳優(りさ子がガチ恋している俳優の後輩)目線のストーリーが交互に展開されていく。りさ子とその同志たちの姿は、ジャンルは違えど(私は二次元の人にしかハマらないので)とても親近感の持てる……というか「わkkkっかる……」と突っ伏してしまいそうなリアリティに溢れている。後輩俳優ことあっきーは、なかなか注意深い人物のようで手作りのプレゼントは絶対口にしないし本当は嫌いな役者ともしれっと仲良くできる嫌味だが憎めない奴だ。彼のやや腹黒っぷりも面白い。それくらいじゃないと役者なんてやっていけないのかもしれませんね。

 それにしても、恋愛もできないのか……大変だな(私にとっては難易度ゼロだが)。魅力があるから華やかな世界の住人になれるわけで、素敵と素敵が組み合わさればそりゃあ恋のひとつやふたつも生まれるのでは。(実在する人間との)恋愛禁止が何の苦痛もなく守れるのはヲタクとかコミュ障だけだと思う。

 

 ファン側と俳優側交互のストーリーが、あるサイン会での些細な(りさ子にとっては地獄に突き落とされたも同然なのだけど)出来事によって暗転する。

 第二部からの、ガチ恋されてる俳優、そいつの彼女(この人も芸能人)、我らが愛しきあっきー、そして狂気に陥りながらも的確に相手を脅していく、ポスト貞子の名がふさわしいりさ子の描写は、真夏の夜に読みたいような恐怖に満ち満ちている。俳優と彼女氏はどうなるのか、りさ子の狂気はどのような終結を迎えるのか―――は、ぜひ読んでほしい。

 きっと、ムシムシして鬱陶しいこれからの季節の憂鬱を吹き飛ばすと思うから。