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どこまでも歩けるはずなんだ

読書と仕事と妄想と。ゆるゆるやっていきたいです

チームワークの定義

先日、卒論発表会があった。抑うつだし準備不足だし大丈夫かなぁと思っていたが、まあまあ、できたと思う。よかった。
私の卒論は、ゼミの学生一丸となって作った映画と、映画制作の記録だ。つまり卒論じゃなくて卒制だ。発表では、映画制作をする中でどんな仕事をしてきたか、どんな苦労や学びがあったか、というふうなことを4分くらい話した。


発表では言えなかった、映画制作ができたからこそ気づいたことが、実はひとつある。それは「チームワークの定義」だ。


私は長いこと、チームワークとは、グループの中心メンバーによる支配体制の美しい別名だと思ってきた。周辺にいる人たちは、自分の意見を言うことも、自分の個性を発揮することも許されず、ただ中心メンバーの機嫌を損ねないように、慎重にやり過ごさなければならない。8歳の時にシカゴから帰ってきて、日本の小学校で見た「チームワーク」は、そんな姿をしていた。
その時、私は、協調性というものを捨てようと思った。

だけど、大学のゼミの「チームワーク」は、全く違う顔をしていた。
意見すらも言えない閉鎖的な雰囲気は微塵もなく、むしろ歓迎された。個人の強みが、何となくゼミの中で共有されていて、それを生かすことでスピーディーな撮影と映画のクオリティーを両立できていた。と思う。


チームワークとは、人を支配するためではなく、自分たちの望むものに向かって、少しでも心地よい歩みをするためにある。


気づくの遅い?
でも、生きているうちに気づけて本当によかったと思ってるよ。