雨音ドライブ【下】(創作小説)

 ぽつぽつと雨が降り出した今日の夕方。

 今日もまた、ユキさんの出勤までふたりでのんびりと過ごす予定だった。しかし、ユキさんの部屋のドアを、どんどんと激しく叩く音が聴こえ、私は怯えた。何なんですかあれ、借金取り? 借金なんかしてねーよ。親。ユキさんは平然としていた。ごめんね、ちょっと我慢してて、すぐに帰るから。

 しかし、ユキさんの親はドアを開け、室内にどかどかと入ってきた。額に青筋を立てた壮年の、神経質そうな男性。この人とユキさん、本当に血が繋がっているのだろうか。何だか不思議だ。ユキさんのお父さん(多分)は、「お前なあ!!」と叫びながらユキさんの胸倉をつかんだ。「一体どういうつもりなんだ、男なのに女用のアパートに住むなんて」

 ユキさんは、恐ろしいほど冷静に、お父さんを振り払った。

「今の私は、男じゃない。父さんの息子は死んだんだよ」

 しかしお父さんの激昂はちっとも止まない。むしろさらに怒りが増してくるようだった。彼はユキさんを殴り、罵倒し、家具を蹴散らした。床に倒れたユキさんを見て、私は、お父さんを殴った。そしてユキさんの手を引いて、共同駐車場に停めてあった私の車に飛び乗った。発進してすぐに、雨脚が少し強くなった。


「しっかし、まさかアンタに誘拐されるとは」
 ユキさんは、にやにやしながら私を見た。口元が少し切れている。「前見てくださいよ、それに今誰かが見たら、どう考えても誘拐されてるのは私です」ユキさんのお父さんの話をしたくなくて、わざと軽口を返した。しかし、それは叶わなかった。ユキさんがぽつりぽつりと、話し始めたからだ。

 

 さっき、運転うまいって言ってくれたよね。18の夏に免許取ってから、遠くまで行けるのが嬉しくて、いつもドライブしてたんだ。当時は一緒に住んでたから、一瞬でも親と離れられるのが本当に幸せだった。自分が男だなんて思いたくないのに、あの人たちは「もっと男らしくなれ」だとか「女になりたいだなんておかしい。絶対にそんなことを二度と言わないで」だとか言ってきて、苦しかったから。特に夜のドライブは楽しくて、朝になる頃には全部自分の思い通りになってるって想像してた。まあそんなわけはないんだけど。

 

 どのくらい遠くに来たのだろう。

 いつの間にか私たちは、海沿いを走っていた。私はふと、このままユキさんと知らない街に辿り着くのを想像した。小さい部屋を借りて、ユキさんはお父さんの怒鳴り声から、そして私は親のお金から解放された生活をする。それもなかなか楽しいかもしれない、きっとこのドライブはもうすぐ終わるんだけど。
 

 雨はまだ降り注ぐ。

 

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 明日、映画「リリーのすべて」を観に行く予定です。これを書いたのは1カ月ほど前なのですが、それを予見していたような小説を書いていたんだな、と自分で少し驚きました。

   小説を書いていると、生まれながらに男/女と分けられ異性に恋するもの、という規範からはみ出してる人を書きたくなります。それから、恋愛以外にも人と強く結びつく方法はあることを信じたいです。

    最後に、性転換について、私は何ひとつ知識のないまま書いてしまいました。お許しください。