恋をするって−よしながふみ『愛すべき娘たち』第3話
マンガについて書くのが思いの外楽しかったので、再びマンガの紹介。
よしながふみ『愛すべき娘たち』
さまざまな愛を巡る女性たちのつながりや生きづらさ、そして希望を描いている、本当に素晴らしい短編集です。初版は2003年発行なのですが、時間差を感じさせない深さを持っています。
特に好きな話がふたつあるので、二回に分けてご紹介します。
今回は第3話。
主人公は、美人で性格もよくて仕事熱心な莢子(さやこ)。祖父の介護で恋愛、結婚どころではなかったが、祖父がなくなり生活が落ち着いてきたので、婚活(親戚のおばさんが持ってくる見合い話を受ける)をすることに。
莢子は、尊敬する祖父の教えである「決して人を分け隔てしてはいけない」を幼いころから忠実に守ってきた。とにかく人が良くて、人の悪口は絶対に言わないし、打算的に人と付き合うこともない。まさに聖人君子のような女性だ。
4度目のお見合いで、不破龍彦という素敵な男性と巡り合う。彼は交通事故の後遺症で、足を引き摺っていた。結婚すれば彼の生活のサポートをしなければならない、ということから、親戚のおばさんからは反対される。しかし龍彦さんは、今までの見合い相手とは違う、偏見のない素直な心を持っていた。彼とデートするたびに、「なんて心の美しい人なんだろう」と莢子は思う、と同時に、苦しくなる。
結局、莢子は龍彦さんともう会わないことを決めた。と同時に「もうお見合いはしない。できない」と宣言する。
莢子は、自分から誰かに恋をすることができなかったのだ。
人を好きになることができなかった理由。それは
恋をするということは、幼い頃から守り続けてきた「人を分け隔ててはいけない」という彼女のモットーと相反することだから。
「恋をするって 人を分け隔てるということじゃない」
この一文を読んだ時、しばらく衝撃でぽかんとしてしまった。そしてその後に「本当だー!!」と驚きつつ納得してしまった。世の中は「恋をしろ」というメッセージと「人を区別するな」というメッセージが溢れている。まさか、そんなありふれたふたつのメッセージが矛盾していたなんて考えたこともなかった。
莢子はこの後、仕事をやめ修道院に入る。恋愛をする必要がない場所へ。
彼女について「恋ができないなんて可哀想」と思う人もいるかもしれない。
けれど私は、どちらかというと「恋愛」なんて個人的なものだと思っていたのに、そうではなかったことに驚く。この世の中は、人は恋愛をすることを前提に、あまりにも綺麗に作り上げられている、と思った。
恋愛と社会構造について考えさせられた、とても深いお話です。