母というものは−よしながふみ『愛すべき娘たち』最終話

前回に引き続き、よしながふみ『愛すべき娘たち』。

 今回は最終話です。

 最終話は、『愛すべき娘たち』全編を通して登場する雪子、その母麻里、祖母の3人の関係を通して、母娘関係や容姿コンプレックスを描いています。
 
 
 雪子は、12歳の時に父を亡くしそれから母・麻里とふたりで暮らしてきた。昔から、自分を男顔で肩幅がっしりの「カカシみたいな体型」だと思っていたが、母のことを綺麗だと言うたびに「雪子の方が可愛いわよ」と言われていた。
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「雪子はとっても可愛いわよ 世界一可愛いお母さんのお姫様」

 
 麻里は若い頃、母(雪子の祖母)から事あるごとに「ニキビだらけ」「出っ歯」等々、見た目を貶されていた。母親を好きになれず、自分の顔に自信を持つこともできず、辛い少女時代を過ごした。
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「あたしが親になった時 あたしだってきっと完璧な親じゃない

 理不尽な事で子供に八ツ当たりもするだろう

 でもその時あたしは絶対にその子に

 「あんたのために叱ったのよ」なんて嘘はつかないんだ」

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 祖母はどうして、美しい母のことを貶し続けたのか? 

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 その答えを、雪子はお歳暮を祖母の家に渡しに行った時に知る。
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 小さい頃は、道行く人が振り返るほどの美少女だった麻里。
 ある日、「あら、何て可愛い子!」と通りすがりの人に褒められた麻里は、得意げな顔をしてみせる。その瞬間、祖母は女学校時代の美人で意地悪な同級生を思い出す。
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 「この子をあの意地悪な人のようにしてはいけない」

 そう思った祖母は、麻里のことを褒めないようにしてきたという。それを知った雪子はこう思う。

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 少なくとも日本では、「母」という概念はあまりに非人間的な重みを背負っている、と思う。だから私は、母親になりたい、いつか子どもがほしいと思ったことは一度もない。私には、人間らしくいることと母親であることを両立できそうにない。
 この物語を通して、母親だって普通の人間で、良いところも悪いところもあるし、時にはものすごいうっかりミスもするのに、悪いところやうっかりミスが、子どもを大きく傷つけてしまうことを思い知らされた。
 それは本当に怖いことだ。だって母親も子どもも悪くないのに。どうして、平凡なことが子育ての面では「ものすごい悪」になってしまうのだろう。
 
 
 暗いことを書いてしまったが、物語は希望のあるラストで終わる。
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「お母さん あたしはお母さんが死んだらお葬式ではうんと泣くからね」

「……ふふ」

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 本当にこのラストが大好きです。 

 実の親を愛せなくて、容姿コンプレックスを抱えたまま50年以上生きてきた人。けれども人は、コンプレックスや過去のトラウマだけでその後の人生を決められるわけじゃない。それ以外のことに目を向けて、小さかったり大きかったりするひとつひとつの幸せを集めていって、いつか笑える時も来る。

 

 コンプレックスやトラウマを無理やり遠ざける必要もないし、かといってそれに捕らわれる必要もないのだと、思うことができました。