どこまでも歩けるはずなんだ

読書と仕事と妄想と。ゆるゆるやっていきたいです

読みました。

 映画「リリーのすべて」http://onomachi009.hatenablog.com/entry/2016/03/25/213942の原作小説、遅くなったけれど読了。通勤時間や昼休み、お休みの日を使ってゆっくりゆっくりと読みました。社会人が読書するのって結構大変だ。これまでだとありえないくらい読むのに時間がかかってしまって、時間の使い方を考えなきゃいけないな、と思った。

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 映画では、アイナーの妻はデンマーク人の肖像画家・ゲルダなのですが、小説ではアメリカ人のグレタだったのですね。冒頭はかなり映画の内容と近く、ノベライズされているかのように感じた。

 

 中盤からはアイナーだけでなくグレタの半生についても語られる。

 アメリカの裕福な家庭に育ったが、周囲から押し付けられる「女性らしさ」を受け入れることができなかったこと、自分が起こした事故で弟に足の障害を負わせてしまったこと、愛する夫(アイナーではない)に先立たれてしまったこと……。

 グレタは、《アイナー》と《リリー》の間で苦悩する夫を支える妻、としてだけの存在ではなく、哀しい過去を背負い、勇敢で、献身的で、自由な、万華鏡のようにさまざまな面を持つキャラクターとして描かれていた。

 

 映画では、ゲルダは最期までアイナー、そしてリリーを傍で支え続けますが、小説では違います。一度目の手術に成功したリリーはヘンリクと恋に落ち、次の手術に成功したらふたりでニューヨークに渡り結婚しようと約束。一方グレタは、夫の旧友で美術商であるハンスからアプローチされ、本人も気持ちが揺らぎますが「私はアイナーの妻なのだから」と彼を突っぱねる。しかし、ヘンリクを愛したリリーを責めはせず、自分から彼女を手放し、ハンスとともに故郷カリフォルニアへ帰ることを決意。

 小説のラストは、最後の手術を終えたけれど、術後の経過がよろしくないリリーを、友人のオペラ歌手・アナとグレタの弟カーライルが、川辺へピクニックに連れて行く場面。そこにはグレタもヘンリクも、いない。

 

 女性の愛情には、「献身性」が求められやすいと思う。正直に言うなら、過剰に求められていると思っている。

 戸惑いながらも最期までリリーの傍にいて懸命に支えたゲルダ、ヘンリクを愛し新しい人生を送ろうをするリリーと別れ、自分の人生を歩み出したグレタ。そりゃあ、ゲルダの方がウケはいいだろうな、と思う。でも私は、グレタの選択を間違っているとも冷たいとも思わない。自分では支えられないから、手放す、というのも間違いなく、愛情だと思うので。