理不尽な世の中で私も理不尽の嵐を起こす、のを辞めたい。-「考えるマナー」感想

 世の中は理不尽だ。

 電車の中で足を踏まれてなぜかこちらが睨みつけられ、ホームではおっさんと勢いよくぶつかり一言謝ったら完全に無視されかばんを投げつけてやろうかと思い、カウンターに立てば駅前の人通りが多いところに喫煙所があるのはおかしいと絡まれる。それうち関係ねえよ役所にでも言ってくれ。

 ひきこもるぞこの野郎。

 と思うことが何度あっただろうか。私が社会不適合者なのか、それとも社会が不適切な何かであるのか。社会の方がおかしいのだと信じたい。足を踏んだりぶつかったりしても謝らない人とか文句を言う場所間違えてる人が多数派なんて私は信じたくない。絶対に信じないから!

 しかし、どれだけ信じられなくても、びっくりするような頭のおかしな人は一定数いて、容赦なく出会いたくもなかったのに遭ってしまって、どうにか対処するしかないのである。き、厳しいぞ社会の荒波。

 

 こんなふうな、日常のちょっとした理不尽に悩みやすい、というか意地でもこんな社会には慣れも迎合もしてやらんぞと固く決めている人にものすごく薦めたい本を読んだ。

 中公文庫『考えるマナー』である。

f:id:onomachi009:20170320151936j:image

 作家やエッセイストが、さまざまな場面でのマナーを「こうするべきなのでは」「こうしたいのだが羞恥心のせいでものすごく悩む」「そうかこうしたらいいのだ」と主張したり悶々としたり解決したりする、自由で愉快なコラム集である。

 読んだ人の数だけ、きっと共感するコラムは違うと思うのだが、私は穂村弘さん、三浦しをんさん、津村記久子さんのコラム共感率が高かった。井上荒野さんのコラムも、たまに「ものすごく分かる!!!」というものがあったかな。

 

 特にお気に入りなのが、穂村弘さんの「距離感のマナー」だ。

 会社員時代、コピーの順番待ちの時に首に息がかかるくらい距離を詰めてくる先輩の意図が分からなくて怖かった。逆に、近所のコンビニ女性店員はお釣りを渡す際に空中で手放し、いつも手のひらに小銭がぼとぼと落ちてくるので切なくなる。

 ほとんど無意識のうちに、私たちは距離感を計算し合わせながら生きている。自分が思う距離感と違う距離感で接してこられた時、私たちは不安になったり不快になったり恐怖したりする。すごくよく分かる。

 穂村さんはある日、病院で距離感の達人と出会う。待合室で一緒になったおばあさんが延々と身の上話をしてくるので困っていると、おばあさんが呼ばれ診察室に行く。ホッとしていると、中からこんな会話が。

「先生、今日、私、誕生日なんですよ」

「そう、おめでとう」

「90歳」

「じゃあ、お祝いに爪を切ってあげよう」

  誕生日祝いに爪切り?!

 やばいやばいやばい、全然ロマンチックなシーンじゃないのに、ときめきが止まらない。こんな人にいつか出会いたいものである。

 しかし、今日も今日とて、通勤路にも職場にもこんな人は現れない。そろそろ人生を変える時が来ているのかも知れない。そして願わくば、理不尽に理不尽で対抗するくせを辞めたいものである。

(ぶつかっても謝られなかったからってさりげなく鞄を思いっきりぶつけたり、ものすごく不愉快な客に書類を書いてもらう時に「では恐れ入りますがこちらご記入ください~」って紙にボールペン突き刺したり、ね)