江國香織『号泣する準備はできていた』 感想

江國香織さんの小説にハマっています。

前までは、「ふんわりした感じが苦手だな~」と思っていたのですが、今はそんな自分を殴り飛ばしたい。

『号泣する準備はできていた』は、表題作含めて12の短編が収められています。

恋人(同性愛含む)や夫婦などなど、まあこれらの言葉じゃくくれないんですが、色んな関係性の中の喪失を描いています。生きていくうえで、失くさざるを得ないものがあるのだ、ととても切なくなります。

それは、青春だったり、世間のしがらみ(ない方がいいのかもしれませんが、なかったらめちゃくちゃ生きにくいと思う)だったり、家族だったりとさまざまな物なんですが。

ああ、好きすぎてうまく感想が書けない。

内容もさることながら、タイトルがとても素晴らしいと思うので、ここに記しておきます。

「全身、もしくは全身のように思われるもの」「じゃこじゃこのビスケット」「熱帯夜」「煙草配りガール」「溝」「こまつま」「洋一も来られればよかったのにね」「住宅地」「どこでもない場所」「手」「号泣する準備はできていた」「そこなう」

全部つなげたら、詩みたいに見えてきませんか?

特に「煙草配りガール」は、そんなタイトルのロックとかあるんじゃないかと思って検索してしまったほど好きです。

ところで、江國香織さんは短編が巧いですよね。

短い中にすべて必要なことが収まっていて、俳句のような美しさがある。

大学の論文指導で、こう言われたことがあります。「長く書くのなんて簡単なんだよ。誰でも知ってるようなことを丁寧に書いて文字数を埋めればいい。逆に短い中で説明するのは大変なんだ」と。レポートなら調べたこと、小説ならキャラの設定などを全部書きたくなっちゃって、ムダに長くなることもありますよね。

でも江國香織さんにはそれがない。強靭な理性を持って作品に向かい合っている方なんじゃないか、と思います。