ノーベル文学賞ノミネート前夜と、非村上読者

 こんばんは、パソコンがなぜかインターネットに繋がらず焦ったおのまちです。

 ここ連日、ノーベル賞の話題で盛り上がっていますね。生理学・医学賞に物理学賞と二日続けて日本人研究者がノミネートされたということで、めでたい(のか?)。ちなみに( )内に疑問符を付けたのは、私がイグ・ノーベル賞派だからです。私にとってはイグ・ノーベル賞の方がめでたいのです。

 そして、とうとう8日のに文学賞の発表があります。本好きとしては微妙に気になるところです。

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 なぜすごく気になる、ではなくて微妙なのかというと、私が村上春樹読者ではないからです。村上春樹は、2006年頃からノーベル賞を受賞するのではないか、と言われ続けてきましたが、今のところ受賞していません(2015年10/7現在)。それでも「いや、今年こそは」と言われ続けてもう9年。すごい、すごすぎる。

 彼の著作が発売されるやいなやニュースに流れ、書店はフェアを開催し、前衛アートのような積みが展開されるという、傍から見てたらちょっと怖いほどの人気作家ぶりですよね。しかも海外でも人気で、30ヶ国くらいで売られているらしい。ええええ、一体彼の物語を何人もの人が共有しているんだろう。

 

 私が村上春樹読者ではないのは、文体にものすごく苦手意識があるからです。

 昔、教科書で読んだ「青が消える」と「レキシントンの幽霊」は結構好きなんです。「青」は幻想的だったな~という印象しかありませんし、「レキシントン」に関しては「僕」に留守番を頼んだ50代の男と、彼と同居してたけど母親をなくして精神を病んだ30代の男が実は恋人同士、という裏設定があるらしいことしか覚えていませんが。ろくなこと覚えてないですね。

 とまあ、「何か面白そうかも~」と思い、短編集の『レキシントンの幽霊』を本屋で手に取り、立ち読みしてみたのです。読み進めていくうちに、「うっ……?!」頭痛がしてきました。何だったのあれ。幽霊の呪いか何かなのでしょうか(いや単に文章が苦手なだけですが)。

 

 それがトラウマで、村上作品に一気に苦手意識が芽生えました。でも、新聞や雑誌やニュースでめっちゃ特集されているし、大学では日本文学を(一応)専攻しているし、読んでおかないとやばい気はしています。彼なしには、日本の現代文学は語れないですもんね。おおう(懊悩)。

 普段なら、ジャンルも書かれた年代もそんなに考えず、好きなもんを自由に読んでいる傾向にあるのに、村上春樹だけは「読んだ方がいいかな」「でもめちゃくちゃ苦手だし今更入りづらいな」と、単なる趣味なのに葛藤してしまう、という。

 

 そんなわけで、ノーベル賞にあまり興味はないけれど、村上春樹関連のニュースは妙に気になってしまう私は、微妙にドキドキしながら発表を待っています。