セクハラの語り方に違和感がある
こんにちは。
今日は、私が最近モヤモヤしていることについて書こうと思う。
連日、セクハラや性犯罪の報道がされていますね。
今までだってされていたのだけど、最近は財務省の次官や自給自足系アイドルメンバーが加害者として報道されたことによって、「こういう事件がありましたよ~」という伝え方だけでなく「どういうことがセクハラに該当するのか」「セクハラ被害の実態とは」みたいな、考察系報道が増えてきたなあと思う。
私は、その考察系報道にモヤモヤしている。
なぜ、加害者ではなく、被害者についてばかり語っているのだろうと。
もちろん、どういった被害を受けており、被害を受けた際にはどうすればよいのかを知ることは大切だ。だが、それ以上に大切なのは、加害者を「生産」しない社会を作るにはどうしたらよいのか、を考えることではないのか。
なぜ、人はセクハラをするのか。
なぜ、許可を取ってもいないのに体に勝手に触るのか。
なぜ、相互の同意に基づく性行為をしないのか。
なぜ、こういった人々が存在を許されているのか。
どうすれば、セクハラや性犯罪を減らすことができるのか。
セクハラや性犯罪の被害に遭っても「相談できない」「泣き寝入りするしかない」環境を作り出しているのは、私たち自身だ。被害の実態を知り「かわいそうに」と憐れむことは誰にだってできる。それどころか、「大したことない」「どうせハニトラ」と二次加害を加える人すらいる。
加害者たちに聞きたい。
あなたの心は、頭は、どういう仕組みになってるの。