ネガティブなあなたに 今も心の支えになってる言葉
例えば、
「今、あなたは幸せですか?」
と聞かれた時。どうお答えするだろうか。
本音がどうなのかはさておき、「まあ幸せかな」と答える人が多い気がする。本気で幸せだから「幸せです!」と答える人、本当は少ししんどかったり辛かったりするけれど心配されなくないから「幸せ」もしくは「まあまあです」と答える人。いろいろあるだろうけれど。
大学生だった数年前、フェミニズム・ジェンダーの講義で、上の質問をされたことがある。私は少し迷って、「いいえ」と答えた。
当時、私はちっとも幸せじゃなかった。せっかくの大学生活、オシャレに勉強にアルバイトにサークルに、と憧れていたのに追いつかない体力と気力。東北大震災が起きたばかりだというのなか、危ない原子力発電をまだ動かそうとする社会。昔から感じていた性差別が、大学で学んだことで明確に言語化されて、モヤモヤが輪郭を持った怒りになっていたこと。
プライベートなことも公の場も、何か噛み合わない。自分にも他人にも社会にも、全方向にイライラしていた。これで幸せと言えるはずがない。
私以外の学生はみな「幸せ」と答えていた。ああ、やはり私は恵まれていることに目を向けられない無い物ねだりしてばかりのしょーもない奴なのだ、みんなを見習おう…そう思った瞬間だった。
教授に「この中で何かを変えられる可能性があるとしたら、アナタよ」と。
教授曰く、自分の生活で恵まれている点を見つける感性はもちろん素晴らしい。けれど、自分や社会をよりよくしていくには「ダメなところに気づく」能力が必要だ。ダメなところに気づけなければ改善や発展もない。苦しいかもしれないけれど、あなたのネガティブさはいつか自分や他人を救うかもしれない、とのことだった。
彼女の言葉で、このままでいいんだ、と思えた。ネガティブな考え方を肯定してもらえた、初めての経験だった。「ネガティブな自分を受け入れよう!」というのを通り越して「ネガティブなアナタだからできることがある」と承認してもらえた気がした。
私は今も、あらゆる差別や理不尽に、心をすり減らしながら怒っている。初めから社会を変えるのはムリでも、少なくとも、傷つき、そして怒りの声を上げることで、私の半径5メートルは変えられる。ネガティブを、ムリヤリ覆い隠さなくてもいいのだ。