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朝井リョウ『何者』 感想

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    この本、直木賞受賞作ということもあって、だいぶ前からタイトルや内容を見聞きすることが多かったのですが、文庫本が出たのでやっと買うことが出来ました。
    貧乏学生なので、単行本買うと1カ月に買える本の冊数が減ってしまうんですよね。図書館で借りようにも、ずっと貸出中になってたし。
    一応就活生だし、この本を味わうなら大学在学中なんじゃないかな、と思って読みました。読書に歳は関係ないかもしれないけど、ある特定の年齢だから出来る読み、が出来る小説ってあると思うんです。


    感想を一言で言うと「怖い」です。何なの、ツイッターの裏垢監視とか、友達の内定先がブラックかどうか検索するとか。sns世代ならではの就活ダークサイドが満載です。
    それ以上に怖いのは、傍観者でいる自意識過剰な主人公に突きつけられる、「あなたはどうってことない、何者にもなれない」という現実です。劇団立ち上げた友達とか、企業に就職する学生をバカにしているライター志望の知り合いとか、痛々しい名刺配りまくってる女の子をバカにしてるお前も痛いよ、と。そして彼らをディスったってそれは上に立つことを意味しないと。

   ここで一応あらすじを。
   主人公、同居人、同居人の元彼女、元彼女の女友達、女友達の彼氏は、アパートの一室に就活対策として集まるようになる。エントリーシートや面接の対策をしたり、内定が出た仲間のお祝いパーティーをしたりする。しかし、snsやふとした言葉に本音や自意識が見え隠れしている。元彼女の内定祝いパーティーをきっかけに、仲間たちの関係がぐわんと変わる。やがて同居人も内定を得るが、主人公は彼の内定先がブラックかどうかを密かに調べる。そして、それが元彼女の女友達にバレ、主人公が今までしてきたことが糾弾される。


    あらすじ書いて気づいたんですが、烏丸ギンジが出せないですね。私がヘタなだけか。
   ギンジは劇団を立ち上げた、主人公の友人です。作中ではおそらくTOP OF 痛い人かと思われます。オフィシャルブログやツイッターの文面にやたらと「自分にしかできない表現」とか出てくる。
    彼のつぶやきの中に、こういうのがあります。
『自分の表現を突き詰めること、大衆社会に迎合していくこと。公演を創っていく上で、どうバランスを取ればいいかわからなくなるときがある』
    ……大衆社会て。大物演出家が作った舞台とか宝塚ならともかく、二十歳そこそこの無名の人が作ってる劇観に行くのってどう考えても少数派やろ。
    このお客さんを見下してる感じ、文化人とか文芸系のライターとかが、いまはいい本が売れない、大衆にウケるベストセラーばかりが売れてどうしようもないとか言ってるのと同じですね。読書人口なんて少ないっちゅうに(斎藤美奈子『趣味は読書。』)。


    そういう論調が嫌いなあまり、話がそれました。
  『何者』は、上記のように思わず突っ込んでしまうくらい、合間に挟まれるsnsのつぶやきがすごい効果を発揮してます。行動とかファッションとかだけではなく、思想・信念などとても曖昧なキャラクターのディテールまで表現していて、「あ〜、いるいるこんな奴」ってたくさん思ってしまう。作者の鋭敏すぎる観察眼がまた怖い。

    読み終わって、一番強く感じているのは、痛い自意識、行動をバカにしてじぶんを保っていても、絶対に反響せざるを得ないという事です。そもそも、他人を観察して勝手にレッテル貼って悦に入ってる時点でもう痛いですしね。
    でも、多分私たちは悟りでも開かなきゃ痛くあり続けるのでしょう。そうしないと、じぶんを保てないから。結局、社会に出てからのじぶんの価値は相対的なものでしかなくて、周りと比べたりちょっと擦り寄ったりしながら生きていくしかないから。疲れるね、本当に。
  『何者』のラストシーンは、じぶんがかっこ悪い、何者にもなれないと悟った主人公が企業の面接を受けているところ。多分……就活はまた失敗しそうな感じだけど、でも、心は楽になれたのかな、と思わせるシーンです。痛いじぶんを開き直る、というのもいいのかも。