ごちそうさま!ー米原万里著・佐藤優編『偉くない「私」が一番自由』感想

米原万里が亡くなって、10年が経つ。

つまり彼女の書いたものは、2006年から時が止まっているのであるが、なぜか古さは感じさせない。たっぷりのユーモアと鋭い観察眼が成せる技なのか。
ゲラゲラ笑って、でも人間について深く考えさせられる。残念ながら私の語彙では、こんな陳腐なことばでしか彼女のエッセイを表現できない。そうだなあ、食べ物に例えるならば、ボルシチに似ていると思う。こっくりとした、滋味豊かな味がする。


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さて、この『偉くない「私」が一番自由』は、米原万里と交流があった佐藤優が、ロシア料理フルコースになぞらえて彼女の名エッセイを選んだものだ。

あとがきでは「米原万里さんとは10回ほどしか会ったことがない」とあるが、米原万里への敬意・親愛をひしひしと感じる本だった。どれも非常に面白く、米原万里の思想の基本、生い立ち、愛したものを一冊で何となく分かるようになっている。合間に挟まれる、佐藤優によるロシア料理の解説も興味深い。

ビックリしたことは、メインが何と米原万里卒業論文だったこと。
人気の高い成熟されたものではなくて、あえて米原万里の原点が垣間見える、荒削りな文章を選んだところに、佐藤優と編集者の独特なセンスが感じられる。

卒業論文は、誤字脱字は多かったけれど、文章の才能と着眼点の豊かさが感じられる、とてもスリリングで面白いものだった。私はロシア文学にまったく詳しくないし、詩なんて何も知らないけれど、それでも引き込まれる力強さがある論文だった。


とても美味しくいただきました。
ごちそうさま!

きらめきに涙

先ほど近所のイオンに行ってきた。

美容院に行った以外は寝てばかりだった、すごく時間をムダにした感のある休日を、少しだけでも充実させるべく、おやつと本を買いに行ったのである。

郊外では天下を取った感のある泣く子も黙る(いや、土日だと走り回ってるお子さんが結構多くて、怖いからやめてほしいんだけど)大型スーパー・イオンとはいえ、平日の夜は静かだ。
仕事帰りとおぼしきおじさん、部屋着みたいな格好の母娘。ラフなリラックスモードと倦怠感が絶妙に絡み合う、なかなか落ち着く空気感となっている。

駄菓子を買い、本屋を覗こうとふらふら歩いていると、シュークリーム屋の前にいた、並ぶ高校生らしい男の子ふたりに女の子ひとりの三人組が目についた。

部活帰りなのかくたびれた制服、ボサボサになった髪、日焼けして少し赤くなっている頰。

全然洗練されていない子たちだった。だけど、だからこそ、何だかキラキラしているように見えて、不覚にも涙が出そうになってしまった。

私は、人生のピークは10代で、あとは枯れていくだけだなんてそんな悲しいことは信じていないけど、というか私は10代のときも全くキラキラしていなかったけど、どうして彼らにはきらめきを感じてしまうんだろう。

10代のきらめきも、大人のきらめきも素敵だ。だけど私は、10代には戻れず大人のきらめきを追求していく気力もなく、ただその狭間で呆然としている。今はそんな感じ。

愚痴を許す

なぜだか分からないが、愚痴られやすい。
いかにも人の良さそうな顔をしている(ペコちゃんとヨーゼフに似ているとよく言われる)からか、あまり話すのが得意ではなくて自然と聞き役になってしまうせいなのか。
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つい最近まで、私は愚痴られることにむちゃくちゃムカついていた。愚痴られるのが嫌すぎて、本気でアメリカ移住を考えたことがあるくらいだ(アメリカでは友人や知人に愚痴るのが一般的ではないらしい)。

常に愚痴っぽいモードの人間が大っ嫌いだった。

今まで出会った愚痴スタンダード人間は、自分の愚痴を私が聴くのは当然、聴かなかったらヒドイ、というスタンスであった。

頭どうかしてんじゃないの?

心の中で、しね、と罵倒しながら、それでも話を切り上げるスキルも強さもない私はただ愚痴を聴いていた。


愚痴られるのが嫌いな理由は、時間を奪われているように感じるからだ。

うんざりするような話を聴いているヒマがあるなら、本を読みたいし、アニメだって観たいし、友達と楽しい話をしたい。
私の二度と帰ってこない時間を奪っておきながら、被害者ヅラしてばかりの情けない目の前の人間に、同情することなんてできなかった。


でも、二十歳を超えた頃から、愚痴を少しずつ許せるようになった。
何か分かりやすいきっかけがあったわけではない。だけど、大学時代に「自分」についてしっかりと悩み、考えたことで、ちょっと他人に対して寛容になれたのではないかと思っている。

自分のことを、自分で見つめて悩む。
自分について思いっきり悩めたから、他人のは悩みや、それを人に言わずにはいられない弱さを「しゃーないか。しんどい時もあるよね」と思えるようになったのかもしれない。


でもやっぱり今でも愚痴っぽい人間は嫌いだし、私自身としては、愚痴るヒマがあるなら愚痴らなくてもいいくらい素敵な生活を送れるようにがんばりたい所存であります。

野望

仕事に慣れなくて病んでいたが、元気になってきた。

やっぱりまだ失敗ばかりなのだけど、仕事そのものには慣れてきた感じがある。
ちょっと前までは、昼休みにトイレに5分だけでも引きこもらないと精神的にしんどかったのに、最近は全然平気だ。仕事をしているときの気分が、明るくなってきた。


図書館司書は、接客業なのだけどお金のやり取りをしないので、かなり気は楽だ。何かいちゃもんを付けられても

「不満があるなら本屋で買えや」

と思って溜飲を下げることができる(品のあるお客さんが多いので、そんなことは滅多にないのだが)。そもそも、どんな大金を払ったって、人にぎゃーぎゃー文句をつけて傷つけたり疲労させたりする権利なんて、買えないのだが。


それに、妙にキャラが濃い人がやってくるので、ネタに事欠かない。(スタッフも)一風変わった人が多いのだ。本には変人を寄せ集める作用でもあるのだろうか…。

利用者の読書の秘密を守らなければならないので、ここで書き散らしたりはしない。だけど面白いので、いつかちょっとだけキャラを変えて、小説でも書いてやろうかと思っている。

周りの人間じゃなく、前の自分と比べよう

今日は精神科に行ってきた。前は1ヶ月に1回くらいのペースだったけど、仕事を始めてからは2週間に1回通っている。


土日は死にたくなるほど忙しく、連休がなく、失敗ばかりしており、電話が怖くて出られない。そのようなことを、先生にポツポツとしゃべった。

特に「電話に出られない」が一番つらいことだ。みんなできていることだし、先輩や上司からも電話出ろって言われるし。でも、電話の音が鳴り響くと、体が固まってしまう。出なきゃ、出なきゃ。そう思っているうちに、他の誰かが出ている。


話しているうちに、何だか泣けてきた。先生はそんな私を見て、静かに言った。

「でも、電話をかけることはできるんでしょう。それなら、半分はできているってことになる。それに、あなたが出なくっても他の誰かが出るんだから、そんなに迷惑はかけていないはずですよ」

そうか。なるほど。

思えば私は、周りと自分を比較して落ち込んでいた。冷静な判断ができない。要領よく話すことができない。必要な情報をすぐに聴きだすことができない。電話に出られない。

でも、周りが私より優秀なのは、考えてみれば当たり前なのだ。新人仲間はみんな転職してきた人ばかりで、私より遥かに多くのスキルを既に持っている。スタートラインがそもそも違うのだった。

初めて電話をかけたときは、ロボットよりも機械みたいな話し方だった。お客さんに話しかけられたくなくて、人の気配を察したらすぐ逃げていた。本の場所も全然分からなかった。

進歩したところも、少しだけれどあるのに、そこに目を向けるのを忘れていた。


先生は最後に言った。
「多分ね、いまは試練の時が来ているんだと思う。時期的にも、疲れがどっと出てくるころだし。一度様子を見て、薬を増やすかどうかを考えましょう」

試練の時、か。
乗り越えられるかどうかは、分からない。もしかしたら逃げるかもしれない。でも、進歩することだけは忘れないようにしよう。それを見つけて自分を褒めるってことも、ね。


ところで今日の記事、タイトルセンスがびっくりするほどないですね。やはりメンタルがヘラっているからか。うむむ。