満月心中【下】(創作小説)
―――小枝子のすすり泣きが聞こえた。死後の世界に、一緒に来れたのだろうか。
私は目を開け、身体を起こした。そこは、駅のホームのベンチだった。駅員さんがおろおろしながら小枝子を慰めている。
「お嬢さんたち、何があったんだかあたしにはさっぱり分からないけどね、あんなとこで跳ねちゃあだめだよ、一歩間違えば死んじまうよ。死んだらみんな終わりだよ、寿命が来るまで死んじゃあいけねえよ」
どうやら私たちは、心中に失敗したらしい。
駅員のおじさんが「家には連絡しないでおくけどねえ、さっさと帰りなさいよ」と去った後、小枝子は泣きながら言った。
「ごめんね、あたし、やっぱり死ぬの嫌んなって、飛び込もうとした君恵を引っ張ったんだ。そしたら、君恵、床に頭ぶつけちゃって、気絶しちゃって……あたし、君恵のこと殺しちゃったかと思って泣いてたら、駅員さんが来て……。
ごめん、言いだしっぺはあたしなのに、生まれ変わるまで待てないよ。あたし、今君恵を一緒にいたいんだって分かったの、本当にごめんね」
私は、小枝子の涙をぬぐった。
「謝らないで、正直に言うと、私も、生まれ変ったって、今の小枝子と出会えないんなら死んだ意味ないんじゃないかしら、なんて考えてたとこだったの」
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来世を信じて死を選ぶ少女たちは美しいかもしれないけれど、「生きててナンボ」という私の価値観が勝りました。人は、色々な偶然が重なってできあがっていくのだと思います。だから、生まれ変わっても、今、好きになった人とは、お互いに全く違う人になるのではないでしょうか。
相手の性別、人種、宗教、その他諸々、世間からの圧力によって想いを諦める人が居なくなるよう、願いつつ。
満月心中【上】(創作小説)
仄暗い百合。大正時代の女学生さんをイメージして書きました。ついさっき書き上げた、できたてほやほやの作品なので、もちろん時代考証は一切しておりません。それでもよければどうぞ。
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やたらと明るい夜だ。ガス灯などないこの田舎の道でも、歩くのはそんなに怖くない。
前を行く小枝子は、どんな思いでいるのか。透視でもするように彼女の背中を見つめたが、何も分かりはしない。
もうそこに駅が見えている。これから三十分もすれば夜行列車がやってくる。その列車に轢かれて、私たちは死ぬのだ。そして生まれ変り、男と女になって、また恋をするのだ。
独逸かどこかの先生が書いた、心理学の本を読んだことがある。もちろん、我が神聖な学び舎には、そんな本は置いていない。帝都にて大学に通う兄の部屋で見つけて、読んでみたのだ。内容はほとんど分からなかったけれど、どうやら、小枝子と私の間にあるものを、学術の世界では「変態性欲」というらしい。
変態……。
変態というと、何だか気持ち悪くて、得体が知れない異形のように思える。私たちの関係は、異形なのだろうか。小枝子と話すことや、放課後にカッフェに入ってお茶を飲むこと、手をつなぐ帰り道は、変態をみなされる行為のうちに入るのだろうか。そう思って、怒りなのか哀しみなのか何なのか、分からないけれど、あまりに一度に色々な感情が腹の中で渦巻いて、私は力が抜けたようになってしまった。
私たちはきっと、この学校を卒業すれば、すぐに結婚させられるのだろう。親が決めた、それなりに釣り合いそうな相手と。良人となったよく知らぬ男の子を生み、母として、妻として、家を支えて生きて行くのだろう。私たちの母のように。
けれど私は、小枝子と過ごすのが、学び舎での三年間だけでなんて嫌だった。卒業しても、大人になっても、おばあちゃんになっても、小枝子と一緒にいたかった。
そんなある日、小枝子は私に言った。
「君恵、生まれ変わりを信じてる?」
その瞳は、メランコリックに輝いていた。
私たちが一緒に居られないのは、私たちが男と女じゃないからだ。女と女は、学校の中で仲良くするのはいいけれど、恋をしてはいけないのだ。誰も言わないけれど、学校の教育や雑誌や、私たちを取り巻くすべてのモノが、そう語りかけてくるような感覚がする。
どうしていけないのだろう。私は、こんなに自然に小枝子が好きなのに。
小枝子は、「ふたりで線路に飛び込んで、生まれ変わろう」と言った。決行は一週間後の夜。もしもこの誘いに乗ってくれるなら、その印として、私にコスモスの花束を頂戴。一番好きな花なの。
私は次の日の夕方、小枝子にコスモスの花束をあげた。
その日は満月の夜で、夜なのにやたらと明るかった。
放課後、いつものカッフェでお気に入りのお茶を飲みながら、『カラマゾフの兄弟』の話をした。私たちがこういう関係になったきっかけの本だ。私は兄に借りて読んだのだが、小枝子はお父さまの書棚から失敬したのだという。私たちが好きな登場人物は、もちろんアリョーシャだ。
「それじゃあ、そろそろ行こっか」
まるでこれから家に帰るみたいに何気ない口調で、小枝子は言った。
駅のホームに入り、私たちは手をつないだ。遠くからカンカンカンカンと響いてくる。あと、三十、二十、十、九、八、七、六、五……(今だ)。私たちは、線路に向かって飛び込んだ。
清く正しく美しく。
それは、働く人々の心を傷つけ疲労させ仕事の邪魔をし、店舗での場合だと他の客までも不愉快にさせる怪物だ。私は図書館で働いていて、お金を取らない分、まあまあクレーマーは少ない方だと思う。それでも月に何回かはクソめんどくさいクレーマーが現れるのだから、他の接客業の方や苦情処理の方はどれだけ大変なことだろうと思う。
ちなみに、当館に寄せられる苦情の大半は「〇〇という本がない」「予約入れたのにまだ届かない」「行きたいサイトにパソコンが繋がらない」である。
だったら買えや。
ただで済まそうとしてるくせに、何文句つけてんだろうと思う。みっともなさすぎる。私は、欲しい物は自分の金で買える大人になろう、とこの3ヶ月で強く決意した。
ところで、「接客業はクレーマーの理不尽さが身に染みて分かってるから、自分が客になったときは優しい」というイメージがある。私が優しいかどうかは分からないが、「どうしても意見を言いたい」「これは納得が行かない」とき――つまり自身がクレーマーになるときは気を付けていることが一応ある。
①敬語を崩さない
これだけでも印象が結構違う。自分の方が上の立場だと思っている人は、往々にして言葉づかいが汚い。方言とかそんなレベルではなく、汚い。自分を見下している人間に、真摯に対応するのはとても難しい。それを知っているから、私は極力丁寧にクレームをつけている。うっかり敬語が崩れてしまったときでも、絶対に命令形は使わず、「〇〇していただきたい」というふうな「お願い・お伺い」のようなニュアンスで話すようにしている。
②感情的にならない
私は、真面目な場面で感情的になる人が信用できない。感情を使いこなすのはかっこいいと思うけれど、感情に支配されては、話しも要領を得なくなるし、相手が相手なりに一生懸命対応しているのにそれに気付けず、無茶ばかり言う醜い人間に成り下がると思うのだ。Aという事実があり、それはBという理由でおかしいと思うので、Cをしてほしい。という感じで、クレームは論理的につけるべきだ。
③感謝を忘れない
もしもクレームをつけているのが、普段よく使う場所だったら、「いつもよく使わせてもらってます」ということを言った方が、このクレームはもしかしたらまともなことを言っているかもしれない、と思う。初めて行った場所でも、話しの終わりには「では検討をお願いします」「ごちゃごちゃ言ってしまってごめんなさい。ありがとう」などを言うようにしている。「いつも使うことで生活が便利になっている」「聞いていて気分のいい話じゃないのに聞いてくれた」ことなどに対して、感謝の気持ちを持って、それを伝える。
というわけで、私はクレームは清く正しく美しくつけるべきだと思っている。私にとってクレームは、「こうなったら私はすごく嬉しいんですけど……」というものに対していうものなので、単に鬱憤を晴らしたい人には、私のリストは何の参考にもならないと思うけど。
最期に、クレーマーのみなさまへ。いつか辞書の角で血が出るまで殴ってやる。
あなたの腕の中で
窓の外を見遣ると、紫、青、ピンク。紫陽花が雨に濡れながら咲いていた。紫陽花に感情はあるのだろうか。どこかで、「きれいだよ、がんばって咲いてね」と言われたチューリップは大輪の花を咲かせ、「おまえなんてさっさと枯れてしまえ」と言われたチューリップは咲かずに枯れてしまうという実験の話を聞いたことがある。言葉がけでチューリップは自信、あるいは自己嫌悪を抱くのなら、紫陽花だって感情があっても不思議ではないだろう。同じ紫陽花の花壇でも、なごやかなグループとギスギスしたグループがあるのかもしれない。
あなたはわたしを、後ろから抱きしめる。あなたはけして大柄ではない。むしろ男性としては小柄な方だ。背はわたしと同じくらいか、少し低いくらい。けれど、あなたの腕や胸はたくましく、温かい。首筋に息がかかってくすぐったい。あなたもわたしも、何も話さないけれど、うなじで感じる呼吸と体温と鼓動は、どんな言葉よりも雄弁にあなたの存在をわたしに知らしめる。わたしはあなたから逃げられないことを知っている。あなたも知っているはずだ、わたしには優しい拘束はいらないことを。
詩のような夢を見た。一体どんなシチュエーションなのか、自分でも全く分からないが、起きた時の気分は悪くなかった。
ズートピアはいいぞ
- ジュディとニックのバディ感
- 動物の特性を生かしつつ、自分で自分を縛っていないか? というメッセージ
- セクマイ(と思われる)キャラクターを登場させている