夢に向かって回り道-竹宮惠子『少年の名はジルベール』感想
そんな竹宮先生が、故郷の徳島から「最先端の所にいなきゃ読者の一歩先に行けない」と上京した二十歳の頃から、萩尾望都先生と同居し切磋琢磨した「大泉サロン時代」、スランプ、ヨーロッパ旅行等を経て大ヒット作『ファラオの墓』を生み出すまでの4年間の回顧録を出された。
読まないわけにはいかない。
『ファラオの墓』は、どうしても描きたかった『風と木の詩』について、編集者から「ヒット作を出す作家さんには、編集者は何も言えない。どうしても描きたいものがあるなら、まずは結果を出してから提案されたらどうですか」と言われ、ヒットを狙って描いたものであるらしい。
これを知った私は、『ファラオの墓』は夢を叶えるための回り道的な作品だったのだと思っていた。
だが、この本を読んで、それだけの存在ではなかったのだと分かった。
竹宮先生は、『ファラオの墓』を描く過程で、「作品を自分の思い通りにコントロールする」ということが明確に分かり、それをきっかけにスランプを脱出できたという。描きたい『風と木の詩』のためなら、と我慢して描き始めたはずなのに、いつの間にか『ファラオの墓』も楽しく描くようになっていた、と。
他にも、才能あふれる萩尾望都先生へのコンプレックスで苦しすぎる時期、原稿料の男女格差、芸術とは何なのか等、この本について語りたいことは山ほどある。
けれど特に、『ファラオの墓』のエピソードを通して、「夢を叶える」ということにおいて、仕方なくやったこと、嫌々やったことが後々繋がってくることがあるのだ、と強く感銘を受けた。
やみくもに夢を追いかけるだけでなく、夢を叶えるためにはどんなことをすれば有利になるのかを考える。それが回り道に思えたとしても、やってみる。方法は正面突破だけじゃないのだ、とこの本に教えられた。